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応援50年第6報 (薩長とライバル秋田を倒した90年前、白河越えへあと一歩の大正時代から昭和へ)

 投稿者:外野席応援OB副團長・中天地メール  投稿日:2009年 7月30日(木)19時57分4秒
  通報 編集済
  第一回全国中等学校優勝野球大会決勝(大正4年)
 愛知二中 000 000 000 001
 秋田中    000 000 000 000 延長12回愛知二中全国優勝(地方大会76校)
第一回東北予選は7月開催とひそかに発表、秋田球場には仙台中も盛岡中も、半日以上の汽車連絡では間に合わず、結局、不戦敗。とくに常勝・東北の王者・盛岡中は、大阪朝日・阪神(愛知)・関東(水戸)には脅威だったのでわざわざ秋田を選んだのか(私の新説?陰謀説)
秋田は、「奥羽越列藩同盟」が「徳川幕府・会津との義理人情」で団結したのに卑怯にも脱藩し、官軍側に寝返っている。宣戦布告せず奇襲した日清・日露・パールハーバーにも匹敵する策略か。盛岡中が出れば全国優勝できたのに、薩長に騙された。慚愧に耐えない。
大正5年一関中が愛知二中(前年優勝校)に勝利している。
大正6年には東北北海道地区で秋田中を撃破リベンジ、第3回全国大会初出場で盛岡中が香川商・慶応(前年優勝校)を破り、準決勝進出している(大阪鳴尾球場)。
その年、岩手出身の原敬総理大臣が白河の関を越えて、大正昭和初期は3人の首相と多数の陸軍海軍大臣を産出して政界は岩手の時代となった。

昭和の一高黄金期の話題に飛躍すると
昭和31年は女鹿恵教-本野剛志主将のバッテリーで第一期黄金時代第一年度、
岩手大会は6試合完投で初優勝した。当時は大天地・中天地は初応援・毎試合、盛岡市営球場に通う。リヤカーで運んだ「福チャン看板」が応援席に陣取って球場を圧倒していた。
 黒沢尻工000 000 300 R 3
 盛岡一  150 001 01X   8 決勝でも快勝・岩手県大会初優勝
奥羽大会は、7回目の甲子園チャンスであったが、前夜の騒動(地元秋田ファンが旅館に投石?)のためか女鹿投手睡眠不足・不調で、惜しくも横手高に7:4で緒戦敗退、秋田高が甲子園に出場している。(真偽は当時の応援委員の証言)
さらに大会直前の本野主将の入院引退は痛手だった。(応援委員と皆で校庭で見送ったあの日の涙)
しかし翌年も発憤し、後輩の大窪明捕手との新バッテリーが見事、華を開くことになる
「岩手の櫻は岩を割って咲く。こぶしの花は北さ向かう(壬生義士傳より)」
 岩手の「やませ(オホーツクからの東北風)」は冷害飢饉だが、奥羽山脈を越えて加湿加温の「こちかぜ(東風)」として伝わり、秋田では日本一の米豊作となる。
東北勢は好敵手ライバルとして切磋琢磨、「白河以北一山百文」と差別されながらも、切歯扼腕・臥薪嘗胆・特有の粘りの伝統で郷土愛を育んできている。
 
 
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