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応援風景50年(第2報 応援旗の変遷)

 投稿者:外野席応援OB副團長・中天地メール  投稿日:2009年 7月26日(日)19時39分13秒
  通報 編集済
  校歌・応援歌(第一-第九)・凱歌・学生歌(鉄壁白亜城)の蛮声と和太鼓・応援旗を中心とした応援は、明治・大正・昭和の旧制盛岡中・新制盛岡高そして平成の現在まで一高応援団として引き継がれている。応援旗の歴史
第一期(S26・S28・S31・S32県大会優勝4回)新制高校創設黄金時代
「大天地達が振り方を開発したが、でかくて腕がしびれた」と大天地本人が証言している「大応援旗時代」、
第2期(S41秋優勝・S43夏岩手県優勝甲子園ベスト8)
 振りやすくなり内外野に在校生とOB応援旗が舞った
 昭和43年カラーテレビで和太鼓と共に全国高校生の模範とされた「多数応援旗時代」
第三期(S49秋優勝・S53夏県大会優勝・甲子園通算9回目)
 応援旗はM旗と称され、各応援委員が多数のM旗を持つ「マスコミ型M旗時代」。
 昭和40-50年代は外野席OBも大挙して、旧応援旗を振って「頑張れ後輩」の垂れ幕で内外野と対称に、盛岡三高OB ・福岡高OB・花巻北OB も左右翼に陣取っての大声援「サンキュウ先輩」のエールは見事であった。そしてOBが在校生よりも多いこともあった。昭和53年のテレビマスコミ報道も高校生らしい礼儀正しい応援と大好評であったが、大会本部は和太鼓を試合当日突然禁止とした。
やがて、岩手県野連は外野席応援を禁じ、一カ所だけの応援団体に限るとして「外野席OB旗自粛時代」の平成の現在に至る。
船山団長をはじめOBの連名で毎年、毎回県庁・県野連本部・朝日に抗議申請している。
しかし中天地は特にマークされ、毎回試合前に必ず退場させられている。それでも、体はなくても中天地の心は千の風になって居る。外野席のバックスクリーン芝生が指定席で50年間、皆出席で声援してきている。
 
 
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