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多くの参加を期待します

 投稿者:白堊應援團30 星メール  投稿日:2008年 7月 6日(日)15時01分13秒
   校歌制定後、太平洋戦争後の廃止運動やこのところの校歌・應援離れなど
存亡の危機を乗り切って100年間歌い継がれてきたわれらが校歌を、さらに歌
い継ぐべく卒業生が数多く集まるよう期待したい。
 
 

校歌制定百周年について

 投稿者:森田 典治メール  投稿日:2008年 7月 5日(土)15時39分8秒
  突然の投稿失礼いたします。
私、盛岡一高平成十二年卒の森田典治と申します。

さて、我等が母校である盛岡一高は今年校歌制定百周年を迎えます。そこで明治四十一年に制定されて以来百年、白堊に学ぶ生徒たちにより歌い継がれてきた校歌を歌う会を卒業生有志で企画いたしました。多数の先輩方にご参加いただければ幸いです。

             記


<日時> 平成20年8月16日(土) 午後4時~5時
<場所> 岩手県立盛岡第一高等学校 校庭

※百周年という節目に、大勢で校歌を歌いたい!という思いで企画しました。お気軽にご参加ください。
※当日駐車場の準備はございませんので、ご了承下さい。
※雨天決行

主催 校歌制定百周年記念斉唱の会実行委員会
後援 白亜同窓会

お問い合わせ先
森田 典治
moritanoriharu@yahoo.co.jp
 

今年は期待したい

 投稿者:白堊應援團30 星メール  投稿日:2008年 5月12日(月)12時25分54秒
   とにかく勝つことはいいことだ。特に大差で勝つと気分がいい。
なんとか県大会に進出して在校生はもとよりOBにも喜びを味あわせ
てほしいものだ。
 

春季高校野球地区盛岡代表決定

 投稿者:外野席応援OB副團長・中天地メール  投稿日:2008年 5月10日(土)22時44分13秒
編集済
  盛岡一 5 2 1  0 0 0  2 1 0  R 11  H 15  E 1
盛岡三 2 3 0  1 0 0  0 0 0     6    11    3
(投)菊池達郎2年(捕)小澤俊一郎3年
  (1)9山崎H3 (2)8阿部H2犠1 (3)2小澤H1三塁打 (4)4赤澤H2 (5)6千葉H2二塁打 (6)3須川H1 (7)7中村友隆H2二塁打 (8)1菊池H2 (9)5古澤H1犠2
(監督)杉田清彦(コーチ)渡辺史隆(主将)古澤知之3年(記録員)田島祥子2年
県大会出場決定/快進撃
和太鼓・蛮声の応援団は3時間(13:30-16:30)の乱打戦にも臆する事なく、M旗を振り「嗚呼愉快なり」・・・在校生達は今年も健在
「生涯一高生の会」船山団長副団長OB連も球親会父兄会も岩手県営球場に出現・応援旗も元気です
 

よかったです。

 投稿者:神戸市濱田  投稿日:2008年 2月27日(水)22時12分46秒
  佐藤さん濱田です。「北辰斜め」は関東でもあまり上映されて無いだけに、必見ものです。
映画館には、ご年配の方で一杯でした。そして涙されてました。映画館の館長の話を聞いた話ですが、旧制高校の同窓会の後、みんなお揃いで映画に見にこられるそうです。佐藤さんに情報が届いてよかったす。現在の一高生にも是非見ていただきたいです。
 

関東での上映再開

 投稿者:佐藤(泰)@疾風会  投稿日:2008年 2月16日(土)19時49分51秒
   濱田さんのメッセージを読みまして、先週の土日に見に行こうと思いましたら、関東
での上映は終わっていまして、ホゾを噛みました。

 しかし、本日調べて見ますと新宿の「シネスクエアとうきゅう」で2/23(土)から
再映するとのことです。

 来週さっそく行ってみようと思います。濱田さん、情報ありがとうございました。
 

WEBを見ました

 投稿者:白堊應援團30 星メール  投稿日:2008年 1月17日(木)22時25分33秒
編集済
    情報ありがとうございます。「北辰斜めにさすところ」都は旧制第七高等学校の大正四年第十四回紀年祭歌ということで、昔懐かしい雰囲気の太鼓の伴奏で歌って居るサイトがありました。映画も近くで上映されるようです。これは鑑賞に値すると思います。
 「ダウンタウンヒーローズ」はいろいろな方々のご好意でVHSやDVDで見ました。旧姓盛岡中学は旧制高校よりも少し年下の年代なので若干異なった面もあったようですが共感できることは多いでしょう。
 

旧制高校の映画

 投稿者:神戸市濱田  投稿日:2008年 1月14日(月)00時06分26秒
   昭和25年の学制改革により廃校となった旧制高等学校を題材とした映画には、20年ほど前に旧制松山高等学校を舞台とした「ダウンタウンヒーローズ」が有名ですが、このたび名匠神山征二郎監督が、旧制高校生たちの半生を描いた「北辰斜めにさすところ」が完成。現在東京・大阪・福岡・熊本・宮崎・鹿児島で上映中です。
 舞台は旧制第七高等学校造士館(現鹿児島大学)。主演三国連太郎です。特に弊衣破帽で奔放で躍動的な旧制高校生たちの姿は必見物。また、七校のライバルである五校(現熊本大学)との野球部対決。応援団同士が母校の応援にかける意気込みは見事なものでした。
 星氏の応援委員時代もこれに共通するものがあるのではと、ふと考え投稿したしだいです。インターネットで「北辰斜めにさすところ」と検索すれば、映画についての内容がわかります。映画のストーりーもよく最後は涙がとまりませんでした。
 

謹賀新年

 投稿者:白堊應援團30 星メール  投稿日:2008年 1月 1日(火)10時23分24秒
編集済
  本年もよろしくお願いします。

http://www10.ocn.ne.jp/~hakuaoen/

 

選抜甲子園21世紀枠推薦めざして新人戦緒戦快勝

 投稿者:外野席応援OB副團長・中天地メール  投稿日:2007年 9月 2日(日)07時00分0秒
編集済
  9月1日(土)秋季大会盛岡地区1回戦
盛岡北 000 010 400  5
盛岡一 010 110 012X 6  ホームラン・2塁打:須川(1年生)

9月2日(日)2回戦
紫波   010 003 000 4     H3  E1
盛岡一 212 002 00X 7     H10 E2
先発 田屋舘投手(1年)が10三振奪取、 4番赤沢(1年)須川(1年)の長短打で溌剌とした一高生野球であった。
生徒の参加は少数精鋭、応援委員長前川修二郎(2年)は文化祭で不参加だったが、蛮声の応援歌、法螺貝・太鼓による応援は相手校を圧倒していた。
「嗚呼愉快哉・・ゆかいなり・・」♪
船山賢一外野席OB団長・副団長・久慈勝治氏・吉田氏・千葉國応(S43)氏等も健在、「生涯一高生の会」夏季大会以来の再会を祝した。
代表決定戦は9月7日(金)12時20分

続報
9/8(土)台風一過・10年ぶりの快勝で盛岡地区第2代表が決定した
盛岡市立 000 100 000  1
盛岡一    100 000 01X  2
9/9(日)
盛岡一高 001 000 400  5
盛大附属 011 310 00X  6
私立の甲子園常連校に臆せず、H12本・E2にも投手陣の連携で一高野球で接戦、食らい付いた粘りは見事、6人の応援委員、6人のOB応援もにぎやかであったが、現役の自主応援・在校生が少なかったのは残念。
 

今年の優勝校

 投稿者:白堊應援團30 星メール  投稿日:2007年 8月26日(日)20時43分2秒
   夏の甲子園も終わり、いわゆる「私立野球校」ではなく「公立校」が見事優勝した。野球特待生も居らず、朝から晩まで野球練習しかしない野球学校でもない。優勝の祝賀会も早々に「期末試験」や進学のための「一斉テスト」を受ける準備に忙しいとか。立派な寮に入って衣食住を快適に暮らすこともなく、自宅から徒歩や自転車で普通に通っている。
 まさに「文武両道」「質実剛健」を自ら実施している素晴らしい学校であり野球部である。連続優勝は難しいかもしれないが「公立校野球部」へ明るい希望を示したことは間違いない
 

どっちもどっち

 投稿者:白堊應援團30 星メール  投稿日:2007年 8月18日(土)19時01分26秒
   詰襟学生服に日の丸鉢巻姿が戦争を連想させるのなら、野球の応援歌などはほとんどが軍歌やTVドラマ「コンバット」からとったコンバットマーチが使われているが、投書した者はそんな知識もない程度の痴れ者か? 自粛した学校は、昭和53年に思いつきだ始めたものなで伝統とか学校の歴史的習慣でもないので投書一つで簡単に止めたのだろう。三重の高野連のジーサンも止めろと言いにくいので「暑いので止めたほうがよい」などとプレッシャーをかけたのではないか? 高野連本部から内々に指示があったかもしれない。
 それに比べて、さすが伝統校は一歩も引かない態度、見事なものだ!
 

甲子園で学ラン“封印” 宇治山田商応援団「戦争想起」に過剰反応?

 投稿者:江戸川  投稿日:2007年 8月16日(木)21時03分39秒
  http://www.sankei-kansai.com/01_syakai/sya081606.htm
※何だかな~
 

ありがとうございます

 投稿者:メール  投稿日:2007年 7月31日(火)00時09分10秒
   手ぬぐいについて、教えていただき、ありがとうございます。すっきりしました。
パターンが違うものが、いくつかあるようですね。 縁あって、また私の手元に来ることを祈りました。
 確かに、今の時代では、伝統を引き継いでいくということが大変なのは、納得です。でも、引き継ぐとか、守るということは、今を生き、未来を考えて行く、道しるべのようなものだと思います。 現役の応援団のみんなが、バランスを保ちながら歩んで行って欲しいものです。
 一高応援団の様子をほんの少しだけかいまみることができました。赤い血潮の手ぬぐいを私のコレクションの中に入れていだだき、大事にしたいと思います。
 

質問に答えて

 投稿者:白堊應援團30 星メール  投稿日:2007年 7月29日(日)08時39分50秒
編集済
   昭和30年代應援委員としてその頃の伝聞と体験を踏まえて簡単に説明します。
手ぬぐいの文字の鷹援団は正確には「應援團」となっているはずです。これは旧制盛岡中学時代からの慣用で戦後旧制中学から高校に変わった際に、それまでの應援團旗が「盛岡中學應援團」となっていたものを「盛岡一高應援團」と一部の文字を変更して作り直し現在に至っているものです。そして盛岡一高の應援團は現在でも変わりなく使っています。赤は應援旗「血潮の旗」の赤ですでデザインは應援委員OBと思います。当サイト2号館参照↓(音がでます)http://www.age.jp/~hakuaoen/1gk2/oeren2.htm
 手ぬぐいは腰に下げて日常的に汗を拭ったり、洗った手を拭いたり、布巾代わりにも裂いて包帯にも出来る便利なもので、特に赤いものとは限らず使用しています。現在は象徴的なものになっているようで應援に委員が数本腰に着けています。下記参照(大運動会)↓
http://ashikari.at.infoseek.co.jp/index.html
 学生服は旧制中学からの引き継は我々のころはなかったです。というのは、当時は大学までは高校時代の詰襟の服を着用しており(下は傷んではけないので色ズボンに変える)後輩に置いていくことはなかった。バンカラと言っても当時は衣類も履き物も十分になく常日頃着たきりで下駄(又は高下駄)やゴム草履、校舎内では裸足という生活で、冠婚葬祭すべて学生服で済ませるので当然ながら洋服はすり切れつぎはぎだらけ、日常生活そのものがバンカラでした。
 旧制中学から我々のころ(一番物資なかった時代)のものを伝統として今でも引き継いでいるのが應援委員ですが、物が豊富で生活も向上した現代においてはなかなか大変だと思います。そのあたりは後輩が解説してくれるかもしれません。
 

知りた~い!

 投稿者:メール  投稿日:2007年 7月29日(日)00時55分1秒
  服飾関係の仕事をしているものです。趣味で、てぬぐいをあつめていて、一高応援団のてぬぐいにめぐりあいました。
そういえは、バンカラもみかけなくなったなぁ、なんて、眺めているうち、あれこれ知りたくなり。。。。
赤地に右側には、Mのマーク、左側に校章、まんなかには、岩手県立盛岡第一高等学校、鷹援団とあります。 現在でも、使われているものですか?
いつ頃からのものなのか、デザインは誰が? 赤は、血潮を意味するの? などなど、気になって、気になって。 私が学生のころは、代々引き継いだと思われる、ボロボロのガクラン、高下駄に、腰には、その赤いてぬぐい、だったようナ。カッコ良く、近づきがたく、ひそかなあこがれをいだき、町でみかけると、どよ~んとした学生生活を送っていた私のこころのなかに、てぬぐいの赤が突き刺さって来たのを思い出しました。
どなたか、てぬぐいにまつわる、あれこれ、教えてくだされば、幸いです。
 

インパクト(威圧感)か

 投稿者:大天地メール  投稿日:2007年 7月23日(月)14時31分6秒
   昭和30年頃の野球部は(他の部もそうだが)本当に良く練習していた。暗くなるまで(なっても)ボールを追いかけ汗まみれになってグランドにへばりついていた。一年から應援歌練習も免除で入学早々厳しい訓練が待っていた。だから校歌・應援歌は謡うものではなく歌って貰うものであった。OBや在校生の期待も大きく選手達は(学業は犠牲にしても)それに応えようとする気持ちがものすごく強かったように思う。勉強ばかりしていると思ってかかってきた相手はもくろみとは違った実力に驚いたかもしれない。
 應援のほうでは、なんの前触れもなくいきなり「世に謡われし浩然の…」と校歌がアップテンポで大音響のパルスを与えて相手應援團・選手を動揺させる効果かがあった(とあとで他校の人から聞いた)。相手のブラスバンドなど聞こえないぐらいで、全校のほとんどの人が應援に来てくれた。本当に全校一丸となって夏の野球に打ち込んだ。かくいう私も学問以外に打ち込みすぎた一人である。
 他の運動部でも同様で、ハンドボールを筆頭に、バスケットボール、柔道、アイスホッケー、サッカーなども上位の大会に行く実力がありその結果として高体連総合20連覇を成し遂げた。県大会、東北大会應援にはよく行ったものだ。
 さて、現在は? やはり時代の流れで一高は進学校のトップでありスポーツ校のトップではないし教育委員会も前者を望んでいるであろう。父兄も我が子にはそれを期待しているだろう。大学受験優先はやむを得ないかもしれない。運動や應援に現を抜かしてばかりはいれれまい。
 これはあくまでも私見です。異論がある方はどしどし投稿して欲しい。
 

K先生の感想(野球応援を終えて)

 投稿者:S54卒ABAB  投稿日:2007年 7月23日(月)09時17分1秒
   これは現在一高で教えているK先生の野球応援(対宮古高戦)を終えての感想です。みなさんはどう思いますか?
 K先生「いや~、最近の一高を見ていると、どうも昔から持っていた一高へのイメージが変わったな~」 私「どういうことですか?」 K先生「昔だったら、今日みたいな接戦は、決まって一高にひっくり返されていたよな~、一高と試合するときはいくら実力が上でも、どこかでひっくり返されると思ってヒヤヒヤしていたけど、最近はどうも違うよな~、一高に勝つには、実力が同じだったらダメで、はるかに上じゃないと勝てなかったもんだけどな~」
 私「K先生、するどい指摘ですね」
さて、みなさんは、どう思いますか?
 

当時の應援委員とは

 投稿者:大天地メール  投稿日:2007年 7月21日(土)00時14分22秒
   昭和30年代は應援委員(中央執行委員会の推薦を経て生徒会で承認)として活動していたはず。委員長は居らず應援團とは應援委員と在校生が形成する応援時の集団でたまたま應援委員になった者が旗を振るという考えである。ただし校歌から第十応援歌まで休まずに歌いながら旗を振れるぐらいの屈強さが要求される。應援團長という概念は無く委員は皆平等、3人.5人で旗を振る場合の中央がリーダーとなるが、應援歌練習でも野球応援でも大体2回ぐらいで交代、太鼓も含め随時ローテーションしていました。ただし扇子は特別訓練で2名がリード。
 昭和31年は、松田さん・小山さん(送球部)、加藤さん・田端さん・武藤さん(ラグビー部)、加藤さん(柔道部)。32年は北口さん(剣道部・寄宿舎)が居て、とりまとめ役をしていた。そして田村捷利(陸上)・伊藤猛(柔道)・奥村滋夫(サッカー・ラグビー・駅伝・スキー)・谷藤猛(卓球)・星邦彦(サッカー・ラグビー)・佐藤功(柔道)・長澤壽八(柔道)・楢木鉄蔵(柔道・陸上)・村上成雄(庭球)・大立目(剣道)、谷地(スキー)は北口さん・平野さんの指名で32年(2年生)の野球應援から活動していた。3年から細越 俊(陸上)が加入。皆運動部で部の掛け持ちもあり試合の時はお互いに応援し合うので相当に忙しかった。結局なりふり構わず行動していたのでバンカラは日常生活であった。
 

第十応援歌

 投稿者:S42・佐藤(泰)  投稿日:2007年 7月19日(木)21時15分14秒
編集済
   第十応援歌=第二凱歌は現場で歌われたのを初めて聞きました。後ほど、在京疾風会
HP(↓)で全国の皆さんにご披露したいと思います。

 歴代の応援団長につきましては、私の前後では応援団長という役職は無く、中天地副
団長が記載されていますのは、生徒会誌「白堊」に応援委員会を代表して論説を載せた
方の名前と思います。

 ちなみにM旗を振る5人の中心に居たということで「団長」とするならば、S40卒
は椎野英世さん、S42卒は佐藤竜右君、(S41卒はOK)です。

 中天地副団長、来年こそ、船山団長ともども、甲子園サ行ぎましょう!

http://www.bekkoame.ne.jp/~yasatou/

 

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