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日米同盟、日米同盟というけれど(三)
10月8日
三上 治
台風は気分を高揚させるというか、興奮に誘うところがある。少年期には伊勢湾台風という恐ろしい台風の経験もあるし、家が農家だったから親が農作物の被害を心配するのを見て育った。それでも台風に興奮した思い出がある。台風は身体のリズムを刺激すところがあるのだろうか。戦争もまたどこか似たところがある。その初期には社会の停滞や腐敗を拭き払うような健康な様相を持ち、人々の気分を高揚させるところがある。だが、その末期には戦争の悲惨さや惨禍も明瞭になる。そして、政府や軍の首脳の内部対立、兵士や国民の厭戦気分もひろがる。
「黒塗りの公文書」というのも、どこか戦争末期を想起させるが、これは日本の自衛隊や政府の問題である。こういうことをみていると、腹の据わった外交なんてできるはずもないと思う。日本が軍事力でアメリカと対等、もしくは自立を主張できるものを持っていないからアメリカと交渉できないというのが戦後の右翼や保守の考え〈理念〉であった。そして、その元凶は戦後の日本弱体化政策であり、憲法9条という国家主権の剥奪はその象徴であるという。確かに、アメリカが世界の護衛官の名において世界の覇権を目指しているような状態ではそれに対抗するような日本武装論が幻とし出てくる心理は分かる。これには憲法9条はアメリカの軍事力に護られて〈日米安保条約に包摂されて〉、機能しているというのがセットになっている。「戦争によらない紛争で解決」という理念はアメリカの圧倒的な軍事力の行使を見るとき、空想的で非現実的なようにみえる。これは「戦争によらない紛争の解決」という憲法9条の理念が世界的には孤立しているようにみえるからである。しかし、世界の護衛官を自認するアメリカの軍事力の行使が地域紛争の解決どころか、世界的に孤立していく事態を僕らが見る時、違った風に世界は見える。孤立していて、その幻想が壊れているのはアメリカの軍事力による世界秩序〈世界平和〉の維持である。
歴史的な流れの中で、「戦争〈武力〉による紛争の解決」という考えが通用しない事態を明瞭化させているのだ。アメリカの軍事力による世界制覇を誇大に主張し、その幻影のもとで日本の軍事力強化を構想してきたのは戦後の保守勢力であるが、それは歴史の流れの中での戦争についてのはっきりした理念に立てない構想だった。民主党は自民党と違う「世界の紛争解決の構想」に立ち、腹を据えてアメリカとの交渉に入れるか。東アジアの共同体構想もそれがなければ生きまい。訪日するオバマに美しい紅葉と一緒にそれを見せるべきである。
http://www.alpha-net.ne.jp/users2/shakai/top/shakai.htm
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