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自民党よ下野を覚悟して選挙に臨むのが唯一の道だ
三上 治
6月30日
やはり選挙が近いのだろうか。自民党の内部の浮き足立っている様子が新聞
では報道されている。選挙前に麻生太郎を自民党の総裁、ということは首相の
座から降ろして選挙をやろうという勢力と麻生首相で選挙をやろうという勢力
が水面下で揉みあっているということだろう。選挙の決断がつかないまま、引
き延ばしてきた結果であり、この期になって何を揉めているのかというのは外
部からの印象であるが、政党に外からは見えない動きがあって、それがもはや
外部の目など意識しないで動きだしている状態であると推察される。
自民党の政党の原点は議会民主主義制であり、国民の声を代表しているとこ
ろにしかないはずであるが、それはいつの間に忘れ去ってしまっている。僕は
時折、国会前に出掛けて行って座り込みなどをしながら、国会の内と外の距離
というか、落差のようなものを考えてきた。自民党などの与党は衆院での議席
の多数であるのをよいことに、強行採決を連発し、それを参議院選挙で否定さ
れると三分の二ルールを駆使して法案を強引に通してきた。彼らにとって、議
会制民主主義は精神なき議会運用のためのルールであり、その堕落した姿を見
せつけてきたのだ。こういうことをやっていれば政党も内部腐食をはじめる典
型を演じてきたのだ。
日本の政党は選挙の意味を本当は考え抜いていないのかも知れない。政党に
とって選挙は議席を得るための政治技術であり、議会運営の力(議席)を持つ
ための手段である。だから、政党にとって選挙は政党のための選挙である。こ
れは日本での議会や政党の形成に由来する結果であり、ある種の転倒を含んで
いる。議会や政党は天皇の統治権の輔弼機関であって、国民の意志表現の機関
ではなかった伝統が政党にも影響しているのだ。政党は選挙という儀礼が必要
であって、国民の支持という名目が必要であるが、国民の意志を代表しえてい
るか、どうかは考えの外に置かれてきた。選挙は政党が国民に支持をお願いす
る政党のための選挙であって、国民のための選挙ではなかった。国民が主体の
選挙ではない。民主主義に取って選挙は国民のためのものだ。国民が主体であ
る。政党と国民の間で[選挙についての意識]がズレはじめている。それが選
挙をめぐる光景にあるのだ。これを読み取れない政党は国民に見放される運命
にある。
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