teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ] [ 検索 ]

スレッド一覧

他のスレッドを探す  スレッド作成


鳥羽亮 疾風の河岸

 投稿者:鷹羽  投稿日:2012年 1月 7日(土)18時34分21秒
返信・引用
  疾風の河岸-はぐれ長屋の用心棒 鳥羽亮 読了。 時間つぶしにはこのシリーズ面白いです。 しかし最近ちょっと飽きが来てますな--この作家に。 他の人も読まないとと思いつつ読めない。 なにかしんどい。  
 

蝉しぐれ 読了

 投稿者:鷹羽  投稿日:2011年 4月24日(日)23時52分54秒
返信・引用 編集済
  2度目です。
入院の間に読了。藤沢周平
映画できるかな--と言う気がしましたが、いい映画でした。
 

鳥羽亮

 投稿者:鷹羽  投稿日:2011年 4月 9日(土)22時48分29秒
返信・引用
  まほろし銀次捕り物帳 怒り一閃 読了

簡単に読めて面白い。短編の集合体としての読み物です。
 

Re: 藤沢周平 闇の傀儡師読んでます

 投稿者:鷹羽  投稿日:2011年 4月 3日(日)23時21分43秒
返信・引用
  > No.856[元記事へ]

鷹羽さんへのお返事です。

本日読了しました。とても面白かった、お薦めの本。

> しかし、安永8年(1779年)、鷹狩りの帰りに立ち寄った品川の東海寺で突然体の不調を訴え、三日後に死去。享年18(満16歳没)。その突然の死は、家基の将軍就任によって失脚する事を恐れた意次による毒殺説、嫡子・豊千代に将軍家を継がせたい一橋家・徳川治済による毒殺説など多くの暗殺説を生んだ。父・家治は、自らの後継ぎがいなくなったため、食事も喉を通らなくなるほど嘆き悲しんだという。
 

日本美術101 鑑賞ガイドブック

 投稿者:鷹羽  投稿日:2011年 4月 3日(日)11時09分28秒
返信・引用 編集済
  三元社出版 お薦めの本

この間新幹線大爆破という映画見ました。「ツーリスト」は面白くなかった。
 

ブールデル

 投稿者:鷹羽  投稿日:2011年 3月27日(日)22時42分20秒
返信・引用
  村田喜代子の「偏愛ムラタ美術館」読んでいて、ブールデルが気になった。国立西洋美術館の「弓引くヘラクレス」は見たことがあった。
http://www.nmwa.go.jp/jp/collection/1966-0002.html

博多の福岡市美術館の前の巨大な像も彼の作品であったとはしらなかった。
この本の「愛の交歓百態」という絵がすばらしい。
「ゼウスはレーダーを愛し、白鳥の姿に化けて彼女を誘惑した。鷹から逃れるために、白鳥の姿のゼウスはレーダーの腕の中に隠れた。密通によってレーダーは卵を産み、卵からヘレネーが生まれた。ヘレネーは後に「トローイアのヘレネー(トロイのヘレン)」として知られる美女になる。」はくちょう座の話も関連してくる。ゼウスはヘレネーの誕生を記念して、天空にはくちょう座を創造した。

調べれば調べるだけ話が発展していく。



 

藤沢周平 闇の傀儡師読んでます

 投稿者:鷹羽  投稿日:2011年 3月27日(日)20時36分31秒
返信・引用
  徳川 家基(とくがわ いえもと)は、江戸幕府第10代将軍徳川家治の長男。家治と田沼意次の推薦で側室となったお知保の方との間に生まれたが、大奥女中の広橋の願いもあり、男子のいなかった家治の正室・倫子の養子となって成長した。

生涯 [編集]幼年期より聡明で文武両道の才能を見せる。成長により政治にも関心を持ち参画する姿勢を表し、老中田沼意次の政治を批判している。

しかし、安永8年(1779年)、鷹狩りの帰りに立ち寄った品川の東海寺で突然体の不調を訴え、三日後に死去。享年18(満16歳没)。その突然の死は、家基の将軍就任によって失脚する事を恐れた意次による毒殺説、嫡子・豊千代に将軍家を継がせたい一橋家・徳川治済による毒殺説など多くの暗殺説を生んだ。父・家治は、自らの後継ぎがいなくなったため、食事も喉を通らなくなるほど嘆き悲しんだという。

徳川宗家の歴史の中で唯一「家」の一文字を賜りながら早世したため、「幻の第11代将軍」とも言われる。

 

ギルバート・ブレイプ

 投稿者:鷹羽  投稿日:2011年 2月12日(土)22時25分37秒
返信・引用
  「『マイライフ・アズ・ア・ドッグ』のラッセ・ハルストレム監督が手掛けたハートウォーミングな青春映画。ユーモアを交えながら、家族の強い絆をイヤミなく描き出す。ジョニー・デップ、レオナルド・ディカプリオら。」前から気になっていた映画。
テレビで見ました。

立派ですな--この青年。家族。とてもアメリカの映画と思えない、家族の映画でした。日本でも難しい家族。

 

忍びの女

 投稿者:鷹羽  投稿日:2011年 2月 5日(土)23時14分38秒
返信・引用
  近年で一番面白かった。
福島政則と女忍び。
お市の方の3人の子供たち。おねね(淀君)と江とその子供たちの運命。女の色気むんむんの所もうまい。
池波正太郎。
 

聖書 絵画

 投稿者:鷹羽  投稿日:2011年 1月23日(日)22時10分15秒
返信・引用 編集済
  聖書の名画はなぜこんなに面白いのか
中経文庫 井手洋一郎
美術館めぐりに必携の一冊

面白かった。
書いておかないとすぐ忘れてしまう。
 

伊藤博文

 投稿者:鷹羽  投稿日:2011年 1月 8日(土)21時55分12秒
返信・引用
  あの時代に約1年イギリスに留学したんだ。
あの時代の日本人はすごい。

文久3年(1863年)には井上聞多・遠藤謹助・山尾庸三・野村弥吉らと共に長州五傑の一人としてイギリスに渡航する。伊藤の荷物は文久2年(1862年)に発行された間違いだらけの『英和対訳袖珍辞書』1冊と寝巻きだけであったという。ロンドン到着後ヒュー・マセソンの世話を受けアレクサンダー・ウィリアムソン(ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの教授、化学者)の邸に滞在し、英語や礼儀作法の指導を受ける。ロンドンでは英語を学ぶとともに博物館、美術館に通い、海軍施設、工場などを見学して見聞を広めた。留学中にイギリスと日本との、あまりにも圧倒的な国力の差を目の当たりにして開国論に転じる。

元治元年(1864年)、4国連合艦隊による長州藩攻撃が近いことを知ると、井上とともに急ぎ帰国し戦争回避に奔走する。横浜上陸後、英国公使ジョン・オールコックと通訳官アーネスト・サトウと会見。しかし、伊藤、井上両名の奔走も空しく、8月5日に4国連合艦隊の砲撃により下関戦争(馬関戦争)が勃発、長州の砲台は徹底的に破壊される。伊藤は戦後、宍戸刑馬こと高杉晋作の通訳として、ユーリアラス号で艦長クーパーとの和平交渉にあたる。
 

秘剣霞颪ーはぐれ長屋の用心棒

 投稿者:鷹羽  投稿日:2011年 1月 8日(土)21時47分43秒
返信・引用
  鳥羽亮著です。読了。
時間つぶしに面白い作品です。
ブックオフで購入してブックオフに売りに行く。30円で販売した。
 

生麦事件

 投稿者:鷹羽  投稿日:2011年 1月 4日(火)20時21分12秒
返信・引用
  「人斬り半次郎」幕末/賊将編 読了。
読んでいて、気づいたことの一つに「生麦事件」がありましたので、
調べてみました。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%9F%E9%BA%A6%E4%BA%8B%E4%BB%B6

勝手に斬り込んだのではない話であります。
 

西郷隆盛と武豊

 投稿者:鷹羽  投稿日:2010年12月26日(日)21時10分40秒
返信・引用
  二人が親戚とは知らなかった。
ウキュペデイアから引用

「西郷には三度の結婚経験がある。

1度目は嘉永5年(1852年)、28歳のとき両親にすすめられて伊集院兼寛の姉すが(須賀)と結婚した。しかしながら藩主の代わりに江戸におもむくなど隆盛は不在が多く、彼女は実家に帰り別れた。

2度目は奄美大島の龍郷村で6石扶持一軒家で自炊していた際、島の名家であった龍家の佐栄志の娘・愛加那(あいがな、意味は愛子)と結婚。35歳の安政7年(1860年)1月2日 (旧暦)に菊次郎(後の京都市市長)・文久2年(1862年)にお菊(のち菊子、大山巌の弟と結婚)の二人の子供をもうけた。この子供たちは庶子として扱われた。文久元年(1861年)末に、鹿児島に帰る際、島妻は鹿児島へ連れ出せない規則があったので別れた。愛加那は明治35年死去。陶芸家の西郷隆文は、菊次郎の四男・隆泰の子。

3度目の妻は慶応元年(1865年)、39歳のときに岩山八郎太の23歳の娘、糸子と結婚。寅太郎[1](侯爵)・午次郎・酉三の3人の子供をもうけ、先の妻、愛加那の二人の子菊次郎、お菊を引き取った。第2次佐藤内閣第2次改造内閣の法務大臣西郷吉之助は寅太郎の子。ちなみに、寅太郎は武豊・武幸四郎の曾祖父の兄弟である園田実徳の娘・ノブと結婚しているため、彼らは遠縁に当たる。」

 

サルバドール・ダリ「十字架の聖ヨハネのキリスト

 投稿者:鷹羽  投稿日:2010年12月25日(土)22時32分1秒
返信・引用 編集済
  初めてこの絵テレビで見ました。知らなかった。知らないことはまだ大変多いことに今更ながら気づかされた。しかし、絵の題名がちと理解できないのであります。聖ヨハネとキリストは別人でありますね。  

聖徳太子

 投稿者:鷹羽  投稿日:2010年12月25日(土)22時28分15秒
返信・引用 編集済
  この間テレビで法隆寺のことを放映していた。
1400年前に作られたという法隆寺。一度焼けて再建。
法隆寺がなぜ倒れずにいままで残っているいるか、科学の目で分析してました。檜を使っていることなど、1400年前の日本人の-人間の-知恵に驚きました。
そして、もう一つ驚いたのは聖徳太子の人間性であります。
つねに民のことを考え、行動していたという人間性に人々は引きつけられたのであります。そういう懐の深い人に出会うと、自分のことを考えてしまいます。そして最近思うのは、他人に対しての自分の心は変わりようがない、もし変えるとすれば、あの人ならどうするだろうと、あの人にすがって判断することだろうと。自分の好き嫌いで行動すると、他人を見るとどうしても自分の感情に左右されてしまいます。
他人を許せないとか、あいつは--とかすぐ自分の感情に負けてしまいます。そういう時、そうじゃないよ、と指針を示してくれる、あの人が必要なのだろう。そのあの人とは、人それぞれ違ってくるだろうが--ある人はイエスかも知らないし、ある人はお天道様かもしれないし、ある人は聖徳太子かもしれないし、ある人は親鸞や日蓮かもしれない。
とにかく、自分の心のままに動いていくと、他人を許せなくなる。
 

正岡律

 投稿者:鷹羽  投稿日:2010年12月19日(日)22時44分42秒
返信・引用
  正岡子規の妹。兄への献身的介護については知っていたが、兄の俳句や短歌の創作意欲の源泉の庭は、兄のために彼女が作っていたとは知らなかった。寝床から見えるように工夫こらして作っていたのだ。最後の糸瓜棚も、庭をみれない子規のために、見上げれるように高く作っていたとは。難しい字もあまり読めなかったらしいが、子規死後、学校に行き裁縫の教師にもなっている。
兄弟愛と言えば、ゴッホ兄弟を思い出すが、ゴッホ兄弟と同様に、二人の墓は並んで祭られている。
 

寺田屋事件

 投稿者:鷹羽  投稿日:2010年12月14日(火)23時40分33秒
返信・引用
  寺田屋事件って二つあるのを初めて知った。  

秋日和

 投稿者:鷹羽  投稿日:2010年12月12日(日)20時41分17秒
返信・引用
  小津の秋日和を見ました。
カメラワーク、切り取りのカメラアングルがとてもすばらしい。
会話がまたすばらしい。

こなんすてきなホームページ見つけました。
http://homepage2.nifty.com/cineyoso/index.htm
 

エコポイント

 投稿者:鷹羽  投稿日:2010年12月12日(日)09時21分24秒
返信・引用
  ようやくエコポイントがきた。2万円。
父親に購入したテレビのエコポイントも来たが、はがきが来て、はっきり読まず置いていて昨日何気なく読んだら、番号間違いかなにかで再申請してくれとのことで、早速パソコンで申し込んだ。1万円。
よく手紙やはがき読まないといかんな--。
 

レンタル掲示板
/38